埼玉

本家彫よし建尚初代

日本伝統刺青 総手彫り刺青師

*仕事復帰しました。現在機械彫ですので1時間6千円になります

江戸後期より花開き
王室も魅了した
日本伝統刺青

元々日本人は刺青に対し偏見は無かった。江戸時代では刺青が入ってる人はそれを仕上げるまでに根気よく通い続け痛みを我慢し続けた強い精神力にむしろ尊敬された。
明治時代に入り政府がお歯黒や刺青などを野蛮な文化として禁止し、刺青師は地下に潜ることを余儀なくされた。
一方国外では和彫に対し芸術的評価が高く、ロシアの皇帝やイギリスの王室はその間も来日する際に刺青師を訪ねては和彫りを入れていた。

手彫り

手彫りの語源は丁度浮世絵版木の彫り師が彫っている姿と似ている事から来たとされる。
手彫りは一見極めて痛そうに見えるがマシンと比べ痛みや出血は少なく、治りも早く、深みのある独特の仕上がりになり、経年による色抜けも少なく寧ろ肌の下でゆっくり墨、顔料が流動しより肌に馴染んで行く。ただ、マシンより時間が掛かる。

刺青図案

和彫りに使用する図案は日本文化に馴染みのあるもの、或いは逸話の一場面を引用したものを使用する。図柄の配置や額には決まりごとがあり、それを逸脱しないよう注意する必要がる。現在インターネットの普及によりそれらを勉強していない刺青師達が多く、日本伝統刺青の今後が懸念される。

我慢

和彫りの事を文身、彫り物、或いは我慢とも言う。我慢には基本的に3つの我慢があり、「痛みに耐える我慢」「節約して彫賃を工面する我慢」「完成まで通い続ける我慢」がある。これを耐え抜いた先に自身の精神力の変化に気付くだろう。

本家彫よし 村松建尚

神奈川県横浜市に初代彫よし 村松致次の長男として生まれる。
実弟の村松致行に二代目彫よしの代目を譲った後に本格的に刺青の修行を始める。その後、群馬県に渡り、屋号を 彫よし から 本家彫よし と改名し、縁あって埼玉県さいたま市に居を構える。
日本の伝統的な刺青の技法である「手彫り」のみを用いて、多くの作品を制作し、全盛期には、タトゥーマシン並みの速さで筋彫りを彫ることが出来、本墨のみ使用で彫る角度や強さの調節で薄ボカシや曙を仕上げる事が出来たという。
初代に倣ってメディアの取材等は一切受けず自己研鑽に集中し今に至る。
現在は初代、二代目と自身の合同作品集を出版、自身の作品及び当時の裏話をSNSで発信、後進の指導にも精力を出している。

二代目彫よし襲名式。下段中央:初代彫よし、下段中央右:二代目彫よし、上段右:本家彫よし、二代目の右隣:高木彬光、中段左:彫錦夫妻

本家彫よしと二代目彫よしの横浜時代の作業風景

刺青作品

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